深センについて考える19(2)

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(昨日の続きより)

ただ、幸か不幸か、深センと香港の間には「境界」があったため、深センは逆に香港の隣町という特性を生かして、改革開放以降急激に発展し、今では逆に呑み込まんとしています。

このことを一体どれだけの人が予想していたでしょうか?

多少物議をかもすことを承知で言えば、わずか40年前に改革開放が始まるまでの深センは、昔の北海道やアメリカ大陸、シベリアのように、住んでいる人が少なかったため、空白地と言ってよい状態で、逆にいろんなことを大胆にやれる状態でもありました。

そういう意味では、今の深センは40年経って一端の大都市になってしまい、手付かずの部分はどんどん少なくなっています。

つまり、フロンティア精神を発揮できる余地は年々少なくなっているわけです。

そんな中で何ができるか?いや、今だからできることもある。

少なくとも、私自身は深センに来てから嫌なこともいっぱいありましたが、基本的には深センに育ててもらっているという感謝の気持ちの方が強いです。

ですので、これからもしばらくは深センを拠点に踏ん張っていきたいと思います。


鈴木陽介

ビジネスハブ香港編集長:http://businesshub.hk/category/suzukyblog/

(アイデアポート・グループ代表:www.ideaport.com.hk)

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