ようこそ、南アジアの一番美しい所…….スリランカ(5)
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インドの南に位置しているスリランカは平和で幸福な国としても、美しさがで満ちている国として世界中に有名になっています。この文章では、スリランカの国内の事を紹介するようにしています。
スリランカの歴史(れきし)
スリランカの歴史(れきし)は、2600年(ねん)ほど前(まえ)から続(つづ)いています。それについてはマハーワンサ、ディーパワンサなどの本(ほん)に書(か)かれています。
紀元前(きげんぜん)6世紀(せいき)にウィジャヤ王様(おうさま)を含(ふく)めた700人(にん)がスリランカにこられたと言(い)うことです。それからタンバパンニという国名(こくめい)を使(つか)ったそうです。ウィジャヤ王様(おうさま)がいらっしゃる前(まえ)から、いろいろな人間(にんげん)がスリランカに住(す)んでいたそうです。
そのころ、お釈迦様(しゃかさま)がいろいろな目的(もくてき)で3回(かい)もこの国(くに)にいらっしゃったということが、マハーワンサ、ディーパワンサなどや、民話(みんわ)などに書(か)いてあり、よく知(し)られています。
紀元前(きげんぜん)447年(ねん)ごろ、ディワナンピヤティッサ王様時代(おうさまじだい)に、マヒンダ和尚様(おしょうさま)を含(ふく)めた7人(にん)がスリランカへいらっしゃって仏教(ぶっきょう)を伝(つた)えました。後(あと)になってサンガミッター尼僧(にそう)を中心(ちゅうしん)にした18民族(みんぞく)の人々(ひとびと)がスリランカにいらっしゃいました。その18民族(みんぞく)の人々(ひとびと)は、いろいろな分野(ぶんや)で高(たか)い技術(ぎじゅつ)を持(も)った人々(ひとびと)でした。その人(ひと)たちのおかげで、スリランカの文化(ぶんか)が発展(はってん)しました。
それから千年(せんねん)の間(あいだ)、さまざまな争(あらそ)いも起(お)こりましたが、この国(くに)の人々(ひとびと)は道徳(どうとく)を大切(たいせつ)にしながら暮(く)らしていきました。今(いま)や、スリランカは、世界(せかい)に誇(ほこ)るすばらしい文化(ぶんか)を持(も)った国(くに)になりました。
ドゥタウゲムヌ、パラッカラマバハウ、ウィジャヤバハウなどの王様(おうさま)の時代(じだい)に、スリランカは一(ひと)つの国(くに)として統治(とうち)され、1505年(ねん)まで、平和(へいわ)で安全(あんぜん)な社会(しゃかい)が続(つづ)きました。
ところが、1505年(ねん)にポルトガル人(じん)がスリランカに来(き)て、スリランカを支配(しはい)しようとしてから、スリランカは乱(みだ)れ始(はじ)めました。ポルトガルの後にはオランダ人(じん)が来(き)ました。さらに、イギリスがスリランカを支配(しはい)しました。この暗(くら)い状態(じょうたい)が300年間(ねんかん)ぐらい続(つづ)きました。外国(がいこく)の支配(しはい)に耐(た)えきれず、スリランカは平和(へいわ)のためにそれらの国(くに)と利権(りけん)を争(あらそ)い戦争(せんそう)をしましたが、負(ま)けてしまいました。
その後(ご)も、平和(へいわ)のための戦(たたか)いは続(つづ)き、スリランカは1948年(ねん)2月(がつ)4日独立国家(かどくりつこっか)になりました。
Rev. Paranagama Gnanawimala
パラナガマ ニャーナウィマラ、
華南師範大学、広州,中国
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