どの時代も経済のウェイトが高いようです
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読書オタクが語る日本図書シリーズ 第139回
~『信長になれなかった男たち』(安部龍太郎著)を読んで学んだこと~
信長だけではないスーパー戦国武将の紹介本。
本書のタイトルはネガティブですが、実際のところは、信長までとはいかずとも、立派な実績のある戦国武将たちをまとめて紹介した本です。そういう意味では非常にポジティブな本で、とは言っても、タイトルからにじみ出ているのは、信長はあくまでも別格ということでしょう。
それはそうと、これらのスーパー戦国武将を含む戦国時代の大名の行動について、また当時日本各地で発生した各種の戦について、軍事的、地政学的な観点からその原因や経緯について説明している場合がほとんどですが、本書がおもしろいのは、それらを経済的な観点からも説明していることです。
もっといえば、私自身が、経済的な観点からの説明が新しく感じたというだけで、他の項目も今まで聞いたことが無い視点からの説明で非常に新鮮でした。
日本の歴史ファンならぜひ一度読まれることをオススメします。
では、以下に今回特に気になった箇所を引用致します。
画像引用元:https://pixabay.com/ja/photos/船-車両-碁-海洋-水-4124716/
【この本のポイント!】
金ヶ崎城攻めは海運の拠点争奪戦だった
(中略)信長が執拗に越前を攻略しようとしたのは、この海運の拠点を手に入れるためだった。
港を押さえて、天下を制す
信長の狙いは機内の流通を支配することだった。
戦国時代は高度経済成長がつづいて、物資の流通量が飛躍的に増加した。流通の主翼(しゅよく)をになっていたのは水運である。それゆえ港を支配することがそのまま流通を掌握することにつながった。
港を押さえれば津料(つりょう)(港湾利用税)や関銭(せきせん)(関税)を徴収することができ、莫大な収入を得ることができる。また海外からの輸入に頼っていた鉛や硝石(しょうせき)を独占的に手に入れられる。
信長は尾張の津島湊や熱田港を支配していた経験からこのことを学び、機内三カ所の主要な港を手に入れるための行動を起こした。
まず永禄十一(一五六八)年に足利義昭を奉じて上洛し、堺と大津に代官をおく権利を認めさせた。
義昭は褒美(ほうび)として副将軍の地位や領国を与えようとしたが、信長はそんなものには見向きもせずに南蛮貿易の拠点である堺と、琵琶湖水運の要地である大津を支配下においた。
次なる狙いは日本海海運の要所である敦賀だった。この頃越前の三国湊には多くの明国船が来航し、朝倉氏の管理のもとで活発な貿易をおこなっていた。(後略)
『信長になれなかった男たち』P30~P35
川中島の戦いの真相
(中略)信玄は早く上洛して天下に覇をとなえたいと願っていたが、戦好きの謙信に挑まれ続けたので戦わざるを得なかった。そんな説をよく耳にするが、これは明らかに間違っている。(中略)
武田信玄が挑んだ北進の夢
(中略)武田一族は鎌倉時代から対馬や安芸、遠江(とおとうみ)の守護をつとめ、室町時代には若狭守護の地位も手に入れた。
武田氏の末流である南部氏は、奥州下北半島の所領に移り、十五世紀後半には十三湊(とさみなと)の安東氏との戦いに勝って、陸奥(むつ)湾や津軽湾の海運を掌握した。
また若狭武田氏の一族である武田信広(のぶひろ)は、室町時代に北海道に渡り、松前(まつまえ)を中心として支配権を確立した。
こうした一族や一門との交流は、信玄の代になってもつづいていたのである。
この頃はすでに奥州からの産物は日本海航路を利用して若狭に運ばれ、京都や機内に持ち込まれて大きな利益を生んでいた。
この航路の両端を武田一門が押さえていたわけで、信玄は信濃から越後に出て港を確保さえすれば、ドル箱とも言える海運ルートに直接つながることができたのである。(中略)
この頃の日本には硝石や鉛が十分に産出せず、大半を輸入に頼っていた。また鉄砲を作るための軟鋼(なんこう)や真鍮(しんちゅう)を作る技術もなかったので、すべて輸入に頼っていたことが近年の研究で明らかにされている。
つまり信玄が日本海に出ることには、鉄砲を生産したり実戦で用いるための物資を輸入するという軍事的な目的もあった。
かくて信玄は二十一歳で武田家の当主になってから、四十八歳で南進策に切りかえるまでの二十七年間、北進の夢に挑みつづけたのだった。(中略)
戦国大名が戦いをくり返したのは、領国よりも流通ルートの支配権を得るためだった。信玄も例外ではなく、千曲川から信濃川にかけての水運の掌握と日本海海運への参入をめざしていた。
それゆえ謙信も、上杉家の命運をかけてこれを阻止せざるを得なかったのである。
『信長になれなかった男たち』P142~P147
画像引用元:https://pixabay.com/ja/photos/海-広大です-船-海運-水-2548098/
いつの世の中も、結局はカネということでしょうか。。。
本書を読んでいても、戦国時代に台頭した大名は、皆まずは経済的に豊かになり、そこからその経済力を背景に勢力を拡大しています。
そして、その経済力の源として、この時代の交易の主流となっていた海運や水運の要となる港を確保し、そこで徴収する各種税金により潤い、その資金源をバックにして戦国武将としてのし上がっていくという勝ちパターンが見えます。
もちろん、生きるか死ぬかの戦いでもある戦国時代、お金があるだけではダメで、政治家として、軍人としての能力が無いと戦国武将として生き残っていくのは難しかったのでしょう。
ただ、卵が先か鶏が先かという話になってしまいますが、戦国時代である以上、争いを勝ち抜くための強力な軍事力が必要であり、軍事力があるからこそ国を守ったり他国との交渉なども有利に進めることができます。そして、それらを支えるためには安定的かつ巨大な資金源が必要になります。
本書の一節に、専属時代は高度成長時代との記述がありますが、正にその通りだったと思います。戦国時代=戦争の時代なので、国力は疲弊する一方かといえば決してそうでもなく、逆に国同士が切磋琢磨して競争し、経済的にも豊かになり、技術的にも向上するという部分もあったと思います。その証拠として、人を殺し合った時代でありながら、全体としては人口が増えています。
いずれにせよ、現代にも通じるのは、結局どの時代も経済が占める要素は大きく、お金を握った人が権力を握るのか、権力を握った人がお金も握るのか、はたまたその両方かはわかりませんが、いつの時代も世の中は経済の原理で動いているのだなと。つまりは、それが人間の本質の一つでもあるのでしょう。
一介の読書オタクより
画像引用元:https://www.amazon.co.jp/信長になれなかった男たち-戦国武将外伝-安部-龍太郎/dp/4344985346/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E4%BF%A1%E9%95%B7%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F&qid=1556382478&s=gateway&sr=8-1-fkmrnull
参考図書:『信長になれなかった男たち 戦国武将外伝』
発行年月:2019年1月
著者:安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)
発行所:幻冬舎
※本記事の写真はすべてイメージです。本記事は参考図書の一部を引用したうえで、個人的な感想を述べているに過ぎません。参考図書の実際の内容は、読者ご自身によりご確認ください。
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