みなさんにはよきパートナーがいますか?

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読書オタクが語る日本図書シリーズ 第83回

~『本田宗一郎 夢を力に』(本田宗一郎著)を読んで学んだこと~

 

縁は努力に勝る。

 

本書はホンダの創業者である本田宗一郎さんの著書です。彼の生い立ちから自分が立ち上げた世界のホンダを退任するまでが、本田さんらしいややぶっきらぼうですがユーモアあふれる言葉で語られています。

以前、藤澤さんの本を読んだときに知ったのですが、彼が本田さんに本を書くことをすすめたらしいのです。ところが、昭和の技術発展史のようのな本を期待していたところ、漫才の本のようなものができてきてガッカリしたというようなことが書かれていたと記憶しています。要は、本書ができた代わりに、日本の技術発展の貴重な記録が永遠に残らなくなってしまったと。

藤澤さんはガッカリしたようですが、私をはじめ、本書を読んだ多くの人は、これはこれで読むに足る内容だと思うでしょうし、とにかく内容も語り口調も面白いため、すいすい読めてしまいます。ですので、私はこれはこれで十分良書だと感じています。

本書には取り上げたい箇所がいくつもありますが、特に気になったところを以下に引用します。

 


画像引用元:https://pixabay.com/ja/キー-心-デイジー-愛-木-バレンタインデー-3087900/

 

【この本のポイント!】

7 東京に進出、初の四サイクル

私の会社の人物評として、よく“技術の本田社長、販売の藤澤専務”といわれるが、その藤澤武夫君と私との出会いは、ドリーム号の完成した昭和二十四年(一九四九年)八月であった。(中略)
私は東海精機時代はもちろん、それ以前から自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。自分と同じなら二人は必要ない。自分一人でじゅうぶんだ。目的は一つでも、そこへたどりつく方法としては人それぞれの個性、異なった持ち味をいかしていくのがいい、だから自分と同じ性格の者とでなくいろいろな性格、能力の人といっしょにやっていきたいという考えを一貫して持っている。
藤澤という人間に初めて会ってみて私はこれはすばらしいと思った。戦時中にバイトを作っていたとはいいながら機会についてはズブのしろうと同様だが、こと販売に関してはすばらしい腕の持ち主だ。つまり私の持っていないものを持っている。私は一回会っただけで提携を堅く約した。
これに関して、つねづね私の感じていることは、性格の違った人とお付き合いできないようでは社会人としても値打ちが少ない人間ではないかということである。世の中には親兄弟だけで会社を経営して、自分勝手なことをするような会社があるが、人材は広く求めるべきもので、親族に限っているようではその企業の伸びはとまってしまう。本田技研の次期社長は、この会社を立派に維持、発展させうる能力がある者なら、あえて日本人に限らず外人でもかまわないとさえ思っている。(中略)
私は人にめいわくさえかけなければ、自分は自分だという考えだから、あたりの評判など気にせず動き回った。だがいつまでもこんなところにいたのでは窒息してしまう。自分の持っている個性すら発揮できなくなり、新しいデザインの考案だってむずかしい、と気がついた。そこでもっと開放されるところに出なければと東京進出を図ったわけである。
二十五年九月に東京の北区上十条に組み立て工場を作り、新しい意気に燃えて仕事に取りかかった。
郷に入れば郷に従えで、のんびりしたいなかにいては、製品もやはりいなかっぽい、やぼなものができがちだ。しかしこんどは刺激の強い都会で思う存分の仕事ができると思うと、実にそう快な気持ちになれた。(中略)
こうした新しい環境で研究を進めた結果、それまでの二サイクルエンジンに代わって四サイクルのE型エンジンを作りあげることができ、これをドリーム号に積載した。このテストは東海道を箱根にかけて行った。(後略)

『本田宗一郎 夢を力に』P64~P72

 


画像引用元:https://pixabay.com/ja/オートバイ-ホイール-ドライブ-輸送システム-車両-モーター-3251306/

 

本書に書かれていることは、すべての組織に通じる経営の理念のようなものだと思います。

本田さんがバイクやクルマづくりに専念できたのは、パートナーの藤澤さんが販売や経営をしっかりやってくれたからというのは周知の事実です。本田さんは藤澤さんという素晴らしいパートナーに恵まれました。藤澤さんも自分の会社をやっていたようですが、本田宗一郎を男にしたいということで、わざわざその会社をたたんで、常務としてホンダに入ったそうです。

ソニーの井深さんと盛田さんは共に複数いた創業メンバーの内の一人でしたが、彼らの関係も同じような関係でした。今風に言えば、発展期のホンダとソニーは共に、社長がCTOでNo2.がCEOの役割を担っていたといえるでしょう。

余談ですが、昔ある会長さんが、「浜松ではその昔、オートバイをつくる会社が100社あったが、何で3社しか残らなかったのか?」というようなことをおっしゃっていました。100社もあったかどうかは調べてないのでわかりませんが、その3社とは、ホンダ、ヤマハ、スズキの3社のことだと思います。彼は本田宗一郎さんをホンダの工場で見たことがあるらしいので、余計に思い入れがあったのでしょう。

話がそれましたが、たとえフリーランスや自営業として生きていくと決めた人であっても、ほとんどの仕事は一人だけで完結するものではありません。ましてや、会社を興して大きくしたり、組織に属しながら社会に貢献するという考えをもっている場合は、常に考え方の異なる人と一緒に仕事をする必要があります。

中国に住んでいると日々新しいスタートアップが生まれていてとても勢いがあると感じますが、ここでも大きく発展している会社は基幹となるメンバーが複数いることが多いです。

ところで、今ちょうど、ナイキの創業者のフィル・ナイトの自伝記を読んでいますが、陸上選手だった彼が日本のオニツカからタイガーというランニングシューズを仕入れてアメリカで販売するというビジネスを始めた頃、彼の元コーチだったビル・バウワーマンが共同創業者として参加することになります。フィル・ナイトが経営と販売、ビル・バウワーマンが研究開発というように、こちらもお互いが不足しているところを補うことで会社を大きくしていきました。

いずれにせよ、彼らはすべて、自分とは異なるタイプの人と組み、自分たちのチームをつくることで組織を大きくし、社会に大きく貢献してきました。

何か目標があって成し遂げたいと思ったり、よいアイデアがあってそれを世に送り出したいと思って不断の努力をすることは大事です。ただ最近思うのは、それよりも先に、まずは、よきパートナーを見つけることの方がよっぽど大事なのではと感じています。

 

一介の読書オタクより

 


画像引用元:https://www.amazon.co.jp/本田宗一郎夢を力に―私の履歴書-日経ビジネス人文庫-本田-宗一郎/dp/453219069X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1522488051&sr=1-1&keywords=%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E5%AE%97%E4%B8%80%E9%83%8E

 

参考図書:『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』
発行年月:2001年7月
著者:本田宗一郎(ほんだ・そういちろう)
発行元:日本経済新聞出版社

※本記事の写真はすべてイメージです。本記事は参考図書の一部を引用したうえで、個人的な感想を述べているに過ぎません。参考図書の実際の内容は、読者ご自身によりご確認ください。

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