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読書オタクが語る日本図書シリーズ 第13回
~『論語に学ぶ』(安岡正篤)を読んで学んだこと~
私自身は論語読みの論語知らず以前の問題です。。。
前回は禅に学ぶという内容の本の紹介でしましたので、今回は『論語に学ぶ』という本をご紹介します。ただ、お釈迦さま、禅、仏教と孔子先生、論語、儒教との比較をするというような大それた話をするつもりはありません。実は、本書は結構前から読んでいるのですが、内容が難しく、私の読書力では、最初から最後まで一気に読破できず、ずっと消化不良のままでした。とは言っても気にはなるので、気が向いたら、というより、忘れた頃に思い出して手に取り、ちょこちょこ読むというのを繰り返してきました。
他方で、ここに書くということになれば、またちゃんと読まなければいけません。また、ちょうど前回、関係ないかもしれませんが、禅に関する本を紹介しましたので、今回のこのチャンスを生かして本書を紹介することにしました。
本書にはいろいろと人生の教訓的な内容が書かれていますが、今回は特に以下の部分を引用してご紹介します。
【この本のポイント!】
五 人間の世の難しさ
千変萬化、人の世の難しさ
人間というものは本当に難しいものでありますが、その難しさを孔子は次のように言うておる。成る程と頭の下がる一節であります。
子曰、可與共學、未可與適道。可與適道、未可與立。可與立、未可與權。 (子罕)
(中略)孔子が言われた。「共に並んで学ぶことは出来ても、共に道をゆくことは出来ない。共に道をゆくことは出来ても、共に立つことはできない。共に立つことは出来ても、共に臨機応変、自由に問題を処理することはできない」(中略)
そもそも道とは、これによらなければ、人間が存在することが出来ないもの、生活し行動してゆくことが出来ないもの、そこで道と言う。
従って人間が生活するに当たって一番大事なことは何かと言うと、先ず道をつけることですね。人生があれば必ず道がなければならぬ。道がなければ歩けない。叉したがって何物をも創造することが出来ない。我々が常に歩く道も、如何に生くるべきかという道も、根本は同じものである。それを道というと、何か難しい理論のように考えたり、日常生活からかけ離れたもののように思うのは、それこそ錯覚・俗解というものです。(中略)
が、その難しい道を共にゆくことが出来るとしても、それで万事片づくかというと、決してそうではない。共に立つことが出来ない。立つということは、一つのところに静止することである。安立(あんりゅう)することである。
たとえば、男女共学ということで、一つの学校でともに男女が机を並べて勉強する。これは簡単であるが、その男女が同じ道をゆくことは容易ではない。しかしそれも出来ぬことではない。同じ大学に入って、同じように国文学なら国文学、英文学なら英文学をやる。つまり同じ道をゆくわけです。そこでそれならいっそ結婚しようということになると―結婚は一つのところに共に立つことです。―今度はそう簡単ではない。
この頃はよく、“恋愛はするけれども、結婚は嫌だ”などと言う。勿論恋愛というものをご都合好く考えておる軽薄人間のいうことでありますが、しかし一面これは尤(もっと)もな言葉である。というのは恋愛と、実際に家庭というものをつくってその中に暮す、安立するという結婚とは、まるで違うからである。気の向いた時にデートして、或る時間、或る場所で楽しむ、ということは誰でもやれるが、明けても暮れても、しかも一生をかけて、一つの家に共に暮らすということは、到底軽薄な考えで出来ることではない。いずれにしても共に立つということは難しいことである。しかし、その難しい共に立つ、ということもまだ出来る、けれども共に立つことが出来るからというて、共に権(はか)ることが出来るかというと、これは実に難しい。権はいろいろな変化に応じていくという意味です。人世のことは千変万化ですから、常に権らなければいけない。ところが人間はこれがうまく出来ないために、大昔から今日まで相も変わらずに問題をおこしておるわけである。(中略)
結婚も同じこと、折角恋愛をして結婚したが、即ち共に道をゆき、共に立ったのはよいが、さて複雑な世の中に処して共に権(はか)ってゆく段階となると、夫婦の考え方や為さんとするところが違って、いろいろな問題が起こる。しっくりと呼吸が合うようにやってゆくには、双方がよほど修養しないといけない。我が欲があるうちは亭主と女房の言うことが反対になる。女房の欲するところ亭主には不満である、というようなことになってうまくゆかない。
人の世の現象は千変万化であるが、こういうふうに本質にはいって説かれると、極めて簡単・簡明であります。
『論語に学ぶ』P200~P205
人生経験がまだまだ不足している読書オタクとしては、何だかわかったようなわからないような内容なのですが、この一節を読んで一つだけわかったことがあります。
要は、友達としてOKだからといって、パートナーとしてOKとは限らないということです。パートナーとは、ビジネスパートナーであるかもしれませんし、旦那さんや奥さんという人生のパートナーであるかもしれませんが、ただ単に友達として気が合うからと、相手のことを深く理解せずにビジネスを一緒に始めたり、結婚したりすると、きっと後悔しますよと。決して、他人は信用できないから一人で何でもやれと言っているのではなく、何をするにも他の人の協力が必要なのだから誰かと一緒にやることは必要だけれども、一緒になるのは、焦らず時間をかけて、相手のことをちゃんと理解してからでも遅くないのではありませんか?ということが、この一節に込められているのではないかと勝手に解釈しました。
知っている人が知り合いで、仲がよい知り合いが友達で、お互いを理解し合える友達が親友ということになるのでしょうが、同性であれ異性であれ、親友からパートナーというステップへ移行するには、それこそ人生をかけるくらいの決意と慎重さを要しますよ。ということを言いたいんじゃないかと、わけがわからないなりに理解しました。
この手の哲学的な本は疲れますので、次はもう少しライトな本をご紹介します。
一介の読書オタクより
参考図書:論語に学ぶ
発行年月:2002年10月
著者:安岡正篤(やすおか・まさひろ)
発行所:PHP研究所
※本記事の写真はすべてイメージです。本記事は参考図書の一部を引用したうえで、個人的な感想を述べているに過ぎません。参考図書の実際の内容は、読者ご自身によりご確認ください。
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