みなさんは苦労したことがありますか?

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読書オタクが語る日本図書シリーズ 第26回

~『鋼のメンタル』(百田尚樹)を読んで学んだこと~

 

自分は幸福か不幸か?

 

なぜこのように感じるかというと、幸福か不幸かというのは、えてして絶対評価ではなく、周りの人と比較した相対評価だからです。あの人の月給は自分よりも多い。あの人はあんなに貯金がある。あの人はイケメンの彼氏がいる。あの人は美人でスタイルが良い。など、他人と比較して嫉妬すると途端に不幸になってしまいます。けれども、そのような人たちが忘れがちなのは、その人自身も他人から同じように見られているということです。

たとえば、仮に収入が相対評価の基準だとして、毎年数千万円稼いでいるAさんとその半分程のBさんがいるとします。BさんはAさんの方が自分よりも稼ぎが大幅に多いことに嫉妬を感じ、不幸だと思っているかもしれませんが、年収が数百万円の人からすれば、Bさんも嫉妬の対象となり、また、自分を不幸だと感じさせる原因の一人となっています。

一方で、悩みも同じで、ある人は髪の毛について悩んでいるかもしれませんが、他人からすれば、そう言われればそうかなという程度で、むしろ言われるまでまったく気が付かなかったという場合も多いです。また、外見は完璧に見えても、生まれつき心臓が弱くて激しい運動が出来ない人、身体は丈夫だけど目が悪い人、内臓に病気を抱えている人など、人それぞれ悩みは異なりますし、誰だった悩みを抱えています。なので、自分だけ悩みがあって不幸であるというのは、とても自分勝手な発想だと思います。

それは、本書を読むことで確信できました。

 


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【この本のポイント!】

知識と想像力の大切さ

(前略)近代以前の歴史はさらに悲惨です。戦争だけでなく、飢餓、疫病、絶対的な身分制度に奴隷制――もちろん人権などはどこにもありません。いや二十一世紀の現代においても、人権どころか明日の命さえも保障されない世界で生きている人たちが大勢います。そうしたことを思えば、この日本に生きていることはどれだけ幸福なことでしょう――それは百年前の人から見れば、もはや極楽と思えるような世界ではないでしょうか。
(中略)ただ、そういう発想や考え方は、もしかしたらいびつなものかもしれません。自分の住む世界とは別の時代や別の世界に生きる人たちと比較するのはルール違反かもしれないからです。強引に言えば、映画や物語の中の人物と比較するようなものです。
だからといって、それはまったく無意味でしょうか。私はそうは思いません。自分以外の人間の行き方を想像することで得るものは必ずあると思っています。人は病気になった時に健康の有り難さがわかります。愛する家族を失えば、家族とともに暮らした日々が本当にかけがえのないものであったことがわかるでしょう。事故や病気で体の一部を失えば、五体満足であることがどれほど素晴らしいものであったかを知るでしょう。
でもその素晴らしさは、何もそれらを失わなければわからないというものではありません。想像力と知識、そして思索する力がわずかにあれば、今、自分がどれほど幸福であるかということがわかります。
世の中には、非常に恵まれたように見えるのに、自分は不幸と思い込んでいる人がいます。悩みを聞いても、それのどこが苦しみなのか、周囲の者には理解できないこともあります。もちろん苦しみや悩みはきわめて個人的なもので、数値化しても誰にでもあてはめられるものではありません。でもここで正直に言えば、現代人の苦しみのハードルは随分下がっているような気がします。
おそらく現代人にとって、生きることが当たり前になったからではないかと思います。
人は当たり前のことには感謝しません。高度経済成長以降は、その上、快適に裕福に暮らすことさえ、「当たり前のもの」となったような気がします。ところがここに落とし穴があります。人は当たり前のものには感謝しないけれども、当たり前のものすら手に入れられなかった時には、激しい怒りと悲しみを味わいます。
(後略)

病気も運と考える

実は病気でさえも、発想の転換は可能です。
私は数年前に黄斑円孔(おうはんえんこう)という病気にかかりました。近年、手術法が確立したとはいえ、失明の危険すらある厄介な病気です。たまたまその手術前に、知人の女医と食事をする機会がありました。そこでふと病気の悩みを愚痴りました。でも彼女は私の悩みにシンパシーを感じてはくれませんでした。
「ふーん、まあ失明しなければいいね」
彼女はサラダを頬張りながら、他人事のように言いました。(実際、他人事なのですが)。
「あなたはお医者さんで病人を毎日見ているから、人が病気になっても何とも感じないんですね」
私が皮肉めいた調子で言うと、彼女は「そういう問題じゃない」と言いました。
「病気にかかるのは環境や生活の影響もあるけど、それでもまあ半分は運みたいなものでしょう。百田さんは黄斑円孔になって不幸だと思っているようだけど、じゃぁ、黄斑円孔を筋ジストロフィーと取り替えられるとなったら取り替えますか?あるいは肺がんと取り替えられるとなったらそうしますか?」
畳みかけるように言われて、さすがの私も何も言い返せませんでした。
そうなのです。私は黄斑円孔を健康な状態と比べて不幸だとか運がないと思ったわけですが、彼女は健康な状態と比べるなら、他の病気とも比べるべきだとほのめかしたのです。多くの患者を見てきた医者ならではの哲学だなあと思いました。
それ以来、どんな病気になっても、それもまた自分の運だと思えるようになりました。

『鋼のメンタル』P85~89

 

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要は、世の中には幸福と不幸についてのルールがあるわけではなく、それを決めるのはすべて自分の考え次第だということです。

あの時は大変だったとか、オレも随分と苦労してきたとか、昔を思い出して感慨に浸ることも時には必要だと思いますが、常にこのようなことを言っていたら要注意です。なぜなら、苦労なんてものは基本的に存在しないからです。つまり、ただの何でもない愚痴だからです。世の中には苦労というモノが実在しているわけではなく、ただ本人がそのように感じているだけのことです。そして、その感じていることは大抵の場合は大したことではありません。その証拠に、その昔悩んでいたことが、今思えば全然大したことではなく、あの時は一なんであんなつまらないことで悩んでいたのだろう、という経験をしたことがある方は私の他にも大勢いると思います。

さらにいえば、現代でどれだけ苦労しようが、戦争を経験してきた人たちからすれば大した苦労ではないでしょうし、どれだけ大きな悩み事をかかえていたとしても、明日生きているかどうかわからないような時代と比べれば、本当に些細なことだと思います。ですので、そのような人たちに対して、私は随分と苦労してきました。なんて言った日には、笑われてしまいます。世の中には、自分より大変な思いをしている人は大勢いると考えた方が無難でしょう。

ちょっと説教じみた話になってしまいましたが、みなさんも発想を転換して、不安や悩みを少しでも解消しましょう!

 

一介の読書オタクより

 


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参考図書:『鋼のメンタル』
発行年月:2016年8月
著者:百田尚樹(ひゃくた・なおき)
発行所:新潮社

※本記事の写真はすべてイメージです。本記事は参考図書の一部を引用したうえで、個人的な感想を述べているに過ぎません。参考図書の実際の内容は、読者ご自身によりご確認ください。

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