みなさんもついつい知ったかぶりしていませんか?
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読書オタクが語る日本図書シリーズ 第69回
~『なぜか結果を出す人の理由』(野村克也著)を読んで学んだこと~
専門外のことは語るべからず。
本書は野球評論家の野村克也さんが書いた本です。現役時代に活躍されたのはもちろん、阪神や楽天の監督も経験された方ということもあり、野球に詳しくない人でも名前くらいは聞いたことがあると思いますが、テレビなどで拝見して、ちょっと変わった話が上手なオジサンだな(失礼?)とは思っていましたが、本を出されていたというのは意外でした。
本書でも、本人曰く、自分はただの野球バカであり、他に語るものは何もないと述べられておりますが、一流の人に共通することなのかどうかわかりませんが、なぜか自分の普段の仕事や生活にもヒントとなるような話がちりばめられています。
本書を全部読み終えると、野球に詳しくない私でも目から鱗の話がちりばめられていることがわかりますが、それでも、一番心に残ったのは、本書の冒頭に書かれている部分です。この分は、同時に、自分に対する戒めでもあるし、勇気を与えてくれる箇所でもあると思います。
では、まずは、下記引用箇所をご覧ください。
画像引用元:https://pixabay.com/ja/実業家-チーム-リーダー-女性-ビジネス女性-スーツ-仕事-銀行-453487/
【この本のポイント!】
はじめに
「野村-野球=ゼロ」。私は常々そう言ってきた。もし野村克也(のむらかつや)という人間に、いま何か存在意義があるとすれば、それは野球がすべてである。私は野球以外について語るべきものは何も持ち合わせていない。
私が現役選手を引退して野球評論家になったとき、全国のいろいろな方々から「講演会をお願いしたい」と声をかけていただいた。大変光栄なことではあるが、こちらは野球のことしか知らないし、しゃべれない。野球教室や野球関係者が集まる場所でなら喜んでお話しさせてもらうけれど、それ以外の場所では私など、ぜんぜん、お呼びではないだろう。
ところが「野村の話をきいてみたい」というオファーは、どうも野球とは関係のない組織や団体からのものも多かった。
「そんな場所に私などがのこのこ出かけていって、いったい何を話せばいいのだろう」
そう尻込みした。こう見えても、私は自分の分というものをわきまえているつもりだ。
呼んでくれている方々の名前を見ると、私のような野球バカでさえよく知っている有名企業や各行政機関や団体がいくつも入っている。そういう人たちの前で、得々と話せるほど私は恥知らずでもないし、何よりもみなさんのお耳汚しであり大変な時間のムダ遣いをさせてしまう。
そこで、私は師と仰ぐ人に相談した。
「先生。私ごときに、今、講演の依頼が殺到しているんですが、やってもいいのでしょうか?」
すると、当代きっての知識人、草柳大蔵(くさやなぎたいぞう)さんは間髪容れずにこう言った。
「そりゃあ、野村君。ぜひ、おやりなさい」
「え! やってもいいんですか? でも、先生。そもそも、私は何をしゃべればいいのか、さっぱり見当がつきません」
「野球のことだけを話せばいいのです」
「あまり野球とは関係がなさそうな人たちを前にして、野球の話だけでいいんですか?」
「そうです。むしろ野球のこと以外は、しゃべっちゃいけません。すべて野球の話であっても、聞くほうは、ちゃんと自分の仕事に役立てようとして聴いたり、生き方の参考にしようとしたりして聴いてくれます。野村君は何も心配せず、とっておきの野球の話をすればいいんです。野球の話なら、君は誰にも負けないでしょう?」
「はい。野球のことだけなら、いくらでもしゃべれます。それでいいなら、明日からさっそくどこへでも出かけてきます」(中略)
講演会や本などというと、「ためになる話をしなきゃいけない」とか「良識も見識もある話をしなきゃいけない」と思って身構えてしまう。そうすると、ついつい、どこかで聞きかじったような話や付け焼刃で調べたようなことを話そうとする。
しかし、そんなものは、だれも求めていない。そんなマネをしてもボロが出るだけだし、それこそ、だれのためにもならない。私は草柳大蔵とは違うのだから、自分が得意な分野で勝負をすればいい。何といっても「野村-野球=ゼロ」なのだ。野球の話以外、私に何ができようか。
逆に言えば「野球の話しかしちゃいけません」という教えのおかげで、調子に乗って余計な分野に首を突っ込んだり、専門外のことにまで口を出したりして恥をかかずにすんだ。(中略)
そして、そういう人たちは、私の野球の話を見聞きして、口々にこんな感想を聞かせてくれた。
「野村さんの話を聴いて、私の会社とまったく同じだと思ったことがたくさんありました」
それを自分の仕事に重ねて今後に活かしたり、周囲の人たちに教えたりしているというのだ。(中略)
そこには、野球の技術や理論といった専門性を超えた普遍的なテーマが見出せる。つまり、その人が他の人に比べて抜き出た結果を出しているのは、その技術や方法論ということ以上に「信頼」や「周囲を巻き込む力」によるものだということである。これは、野球以外の仕事の現場でも、まったく同じではないだろうか。(後略)
私が現役選手を引退して野球評論家になったとき、全国のいろいろな方々から「講演会をお願いしたい」と声をかけていただいた。大変光栄なことではあるが、こちらは野球のことしか知らないし、しゃべれない。野球教室や野球関係者が集まる場所でなら喜んでお話しさせてもらうけれど、それ以外の場所では私など、ぜんぜん、お呼びではないだろう。
ところが「野村の話をきいてみたい」というオファーは、どうも野球とは関係のない組織や団体からのものも多かった。
「そんな場所に私などがのこのこ出かけていって、いったい何を話せばいいのだろう」
そう尻込みした。こう見えても、私は自分の分というものをわきまえているつもりだ。
呼んでくれている方々の名前を見ると、私のような野球バカでさえよく知っている有名企業や各行政機関や団体がいくつも入っている。そういう人たちの前で、得々と話せるほど私は恥知らずでもないし、何よりもみなさんのお耳汚しであり大変な時間のムダ遣いをさせてしまう。
そこで、私は師と仰ぐ人に相談した。
「先生。私ごときに、今、講演の依頼が殺到しているんですが、やってもいいのでしょうか?」
すると、当代きっての知識人、草柳大蔵(くさやなぎたいぞう)さんは間髪容れずにこう言った。
「そりゃあ、野村君。ぜひ、おやりなさい」
「え! やってもいいんですか? でも、先生。そもそも、私は何をしゃべればいいのか、さっぱり見当がつきません」
「野球のことだけを話せばいいのです」
「あまり野球とは関係がなさそうな人たちを前にして、野球の話だけでいいんですか?」
「そうです。むしろ野球のこと以外は、しゃべっちゃいけません。すべて野球の話であっても、聞くほうは、ちゃんと自分の仕事に役立てようとして聴いたり、生き方の参考にしようとしたりして聴いてくれます。野村君は何も心配せず、とっておきの野球の話をすればいいんです。野球の話なら、君は誰にも負けないでしょう?」
「はい。野球のことだけなら、いくらでもしゃべれます。それでいいなら、明日からさっそくどこへでも出かけてきます」(中略)
講演会や本などというと、「ためになる話をしなきゃいけない」とか「良識も見識もある話をしなきゃいけない」と思って身構えてしまう。そうすると、ついつい、どこかで聞きかじったような話や付け焼刃で調べたようなことを話そうとする。
しかし、そんなものは、だれも求めていない。そんなマネをしてもボロが出るだけだし、それこそ、だれのためにもならない。私は草柳大蔵とは違うのだから、自分が得意な分野で勝負をすればいい。何といっても「野村-野球=ゼロ」なのだ。野球の話以外、私に何ができようか。
逆に言えば「野球の話しかしちゃいけません」という教えのおかげで、調子に乗って余計な分野に首を突っ込んだり、専門外のことにまで口を出したりして恥をかかずにすんだ。(中略)
そして、そういう人たちは、私の野球の話を見聞きして、口々にこんな感想を聞かせてくれた。
「野村さんの話を聴いて、私の会社とまったく同じだと思ったことがたくさんありました」
それを自分の仕事に重ねて今後に活かしたり、周囲の人たちに教えたりしているというのだ。(中略)
そこには、野球の技術や理論といった専門性を超えた普遍的なテーマが見出せる。つまり、その人が他の人に比べて抜き出た結果を出しているのは、その技術や方法論ということ以上に「信頼」や「周囲を巻き込む力」によるものだということである。これは、野球以外の仕事の現場でも、まったく同じではないだろうか。(後略)
『なぜか結果を出す人の理由』P3~P10
画像引用元:https://pixabay.com/ja/抽象的な-アーチ-アーキテクチャ-離れて-静けさ-コンセプト-1168134/
私は、本書の冒頭部分から戒めと勇気の二つを感じとることができました。
まず、戒めとしては、自分が詳しくないことを安易に語ってはいけないということです。
世の中には、自分が大して詳しくないことを滔々と語る人が五万といます。本人は、自分は専門家であると思っていますが、ほとんどの場合は、自分より詳しくない人に対して、自分がちょっと体験したことや聞きかじったことを虎の首でも取ったような得意気な顔をして上から目線で語っているだけです。これでは、間違った情報を教えられる相手もたまったものじゃありません。
読書オタクは中国に住んでいますので、よくあるのが、中国に出張ベースでよく来ている人が、同行者の初めて中国に来た人や久しぶりに中国に来た人に対して、得意気に中国について語ることです。別に目くじらを立てるようなことでもないため、よほど間違った情報を伝えていない限りは、相手のメンツもあるので指摘しませんが、正直、それって前に私があなたに言ったことだよね?と思うことも結構ありますし、そこそこ詳しいようだけど、その情報古いよね?と思うこともしばしばです。
もちろん、私が中国にずっと住んでいるからといって、中国のすべてを把握しているわけではありませんし、むしろ、出張ベースで来ている人の方が、中国について客観的に捉えている場合も多く、勉強になることも少なくなくありません。ただ、中国に長年住んでいるのに中国にあまり興味がない人が語る中国事情も含めて、そのほとんどが、上記引用箇所でいう「付け焼刃」の中国情報であることは間違いありません。
もう一つは、本引用箇所を読んだことで勇気をもらえたことです。
どのような勇気かというと、別に何か大それたことをしようとしなくても、自分が知っていること、日々肌で体験し、感じたことであっても、人によっては十分に価値を感じてくれるということです。
どの業界にも大家と言われる人がいます。そうでなくとも、その業界で人並み以上の能力と知識を兼ね備えたプロがいます。読書オタクも、そのようなベテランやプロと呼べるような人と比べて、自分のような人間がそこに足を踏み入れていいのかという不安があった時期があります。そんなことをして人様に迷惑をかけないかと。
ただ、何事もやってみなければわかりませんし、一生懸命やれば、たとえ、多少阻喪があったとしても、たいていのことは何とかできるとも思っています。読書オタクが毎週土曜日に書いているこの書評もそうですが、毎週見てくれている読者がおりますし、そういうことに価値を感じてサポートしてくれる人も実際にいるわけです。であれば、たとえ自分が自分のレベルに満足していなかったとしても、十分プロとして自信をもって良いのではないかと思うのです。
本書は野球のことについて書かれていますので、それを例にすれば、たとえば、野球のトッププロ中のトッププロとして、イチローがいますが、彼のような高額年俸の野球選手もいれば、プロになったばかりで普通のサラリーマンと同じかもっと少ない年俸の選手もいます。けれども、どちらもプロとしてお金をもらい、そのお金でもって生計を立てている以上は、どちらもプロといって差し支えないと思います。それは、すべての業界、すべての人に当てはまると思います。
つまり、自分のレベルがたとえ低くても、お客様が納得してお金を払っていただければプロと言って差し支えありませんし、逆に言えば、たとえ、プロとして長年やってきた人であり、周りからの評価が高い人であっても、お客様が満足しなかったら、少なくともその人のその時の仕事はプロの仕事に値しなかったということになります。
みなさんも、自分なんて、などと謙遜せず、お客様の声に耳を傾け、何事も真剣に取り組みましょう。それを見ている人は必ずいますよ。
一介の読書オタクより
画像引用元:https://www.amazon.co.jp/なぜか結果を出す人の理由-集英社新書-野村-克也/dp/408720765X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1514025539&sr=1-1&keywords=%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%81%8B%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%99%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1
参考図書:『なぜか結果を出す人の理由』
発行年月:2014年11月
著者:野村克也(のむら・かつや)
発行所:集英社
発行年月:2014年11月
著者:野村克也(のむら・かつや)
発行所:集英社
※本記事の写真はすべてイメージです。本記事は参考図書の一部を引用したうえで、個人的な感想を述べているに過ぎません。参考図書の実際の内容は、読者ご自身によりご確認ください。