大学は争って改名 「大学」は「学院」より本当によいのか?

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高校竞相改名,“大学”真的就比“学院”好吗?
 
2017-11-01 16:50:00  来源:亚太日报
 
9月28日以来,广东、山东、上海、安徽、河北、四川、广西以及云南8个省份先后公示了申报升格、改名和转设的26所高校名单。海南、江苏、江西、重庆、湖北5省份也不甘落后,相继发布了今年设置高等学校的有关公示,共涉及12所高校。据澎湃统计,已有13个省份的38所高校加入高校“改名”大潮。
 
高校的改名“情结”可谓由来已久。据调查显示,“全国两千多所公办高校中,过去20年有近一半改过名字”。如果说过去特定阶段,高校密集改名尚可以理解为是“解决历史遗留问题”和“教育事业发展的必然结果”,那么眼下的扎堆改名,就显然是另一回事了。在当前语境下,一些不知所谓的高校改名之风,正引发越来越多的质疑。这很大程度上是因为,其已然超越了教育的本义,而附着了太多的利益算计。
高校为什么如此着迷于改名?归纳而言,无非是为了得到更高的行政级别,从而获得更多的资源、招收更好的生源、制造更亮眼的“业绩”。而为了成功升格、改名,各个高校采取的操作路数也大致相同,比如说新设学科专业、扩大招生规模、延揽高学历师资等等……
 
“大学”真的就比“学院”好吗?说到底,高校的发展和演进自有其内在规律,这需要学科的积淀、需要优势的累加,更需要一点时间和耐心。一些高校尽管可以拼凑软硬件,却终究无法在短时间内实现自我的跃升。在这一背景下,高校的改名,似乎更像是一种极具迷惑性的形象包装,它掩盖了一所学校真实的实力与内涵,而给人以深深的错觉。
 
高校改名大潮一波接一波,这的确与相关制度设计不合理不无关系,但更重要的原因,或许还在于办学者自身的价值偏差。一些高校的管理者,总觉得“学院”比不得“大学”光鲜亮丽,总是对构建大而全的综合大学心心念念。在这一大局观的指引下,所想的也不是将自身的优势学科做精做强,甚至不惜切断特色化的办学传统。这种功利、短视的做法,从长远看来势必会得不偿失。
 
当眼花缭乱的校名越发脱离于高校的教学实际,那么“改名”所带来的额外红利也终将消弭。教育部《关于“十三五”时期高等学校设置工作的意见》明确规定,坚决纠正部分高等学校贪大求全,为了更名、升格盲目向综合性、多科性发展的倾向,严格依据标准审批“学院”更名“大学”,切实引导存量高等学校把精力和资源用于特色学科专业建设与内涵发展上来。
 
办学从来不易,声名还请珍惜。与其在追逐更名的道路上狂奔,不如沉下心来,在办学特色、教育质量上苦练内功,高等教育事业才能真正实现百花齐放、百舸争流的局面。
 
(来源:澎湃新闻)
 
 
大学は争って改名 「大学」は「学院」より本当によいのか?
 
2017-09-29 11:23:00  出所:アジアパシフィックデイリーニュース
 
9月28日以来、広東、山東、上海、安徽、河北、四川、広西及び雲南八つの省は相次いで昇格、改名と転換の申請をする26ヶ所の大学のリストを公開した。海南、江蘇、江西、重慶、湖北五つの省も発展に立ち遅れまいと、相次いで今年大学を設置することについての知らせを公表し、あわせて12所の大学に関わる。澎湃の統計によると、既に13個の省の38ヶ所の大学が「改名」ブームに乗ったという。
 
大学の改名「コンプレックス」は昔からあると言える。調査によると、「全国二千ヶ所以上の公立大学の中で、20年内に約半数の学校が名前を変更したことがある」という。過去の特定の時期に、改名が集中したのは、「歴史上の残された問題の解決」と「教育事業発展の必然的な結果」に基づいたことだと理解できる。しかし現在の多くの改名現象は明らかに別のことだ。当面の状況のもとで、これらのなんとも言いようのない大学改名ブームが多くの疑問を引き起こしている。これは高い程度で、教育そのものの本義を超えて、あまりに多くの利益の計算を含んでいるからである。
 
大学はなぜそんなに改名に執着するのだろうか?要約して言えば、より高い行政レベルを得るためほかならない。それに従って、もっと多くの資源を獲得し、より良い質の学生を募集し、より輝かしい「業績」を創造するためだ。しかし昇格成功や、改名のために、各大学が採用した措置はほぼ同じだ。例えば、専門学科の新設、学生の募集規模の拡大、高学歴の教師を集めることなどだ。
 
「大学」は「学院」より本当によいのか?突き詰めれば、大学の発展と進化には内在的な規律がある。これは学科の蓄積、優位の累加が必要で、更には時間と忍耐力をもっとも必要とする。ある大学は人材や学校の運営状況を揃えられるにも関わらず、終には短時間に自らの躍進を実現できない。この背景の下では、大学の改名は学校の本当の実力を覆い隠し、人を深い錯覚に陥らせる極めて目くらまし性を備えたイメージの包装のようだ。
 
大学の改名ブームは次から次へと発生し、これは確かに関連制度設計の不合理さに関わっているが、もっと重要な原因は教育者自身の価値観の偏差かもしれない。いくらかの大学の管理者には、「大学」は「学院」より輝かしいとおもわれ、いつも大きく全面的な総合大学の建設に精一杯に力を注ぐ。この観念の導きの下に考えるのは、自身の優勢の学科を向上させることではないばかりか、酷いものは特徴付けしてきた学校運営の伝統を断ち切ることも厭わない。この功利的かつ見識が浅いやり方は長い目で見れば必ず得より損のほうが大きくなる。
 
煌びやかで眩しいような学校名はますます大学の教育実情を脱れ、従って「改名」がもたらす大きな利益もついには消えてしまうだろう。教育部の「第十三次五カ年計画」時期の大学設置の意見について」は明確に一部の大学が大きな利益を貪ろうとし、また改名、昇格のために盲目的に総合性と多面性への発展をしようとする傾向を断固として修正することを規定している。厳格に規準に則って「学院」を審査し、「大学」と改名する。大学の気力と資源を特色ある学科の建設と内在的な教養の発展に用いることを適切に導く。
 
学校の運営は容易ではないが、名声はどうか大切にして欲しい。改名の道で腐心するより、落ち着いて学校の特徴や教育の質に工夫をこらすほうがいい。こうすればこそ、大学の教育事業は本当に繁栄する局面に入るだろう。
 
(出所:澎湃ニュース)
 
記事引用元:http://cn.apdnews.com/guandian/780705.html
 

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