みなさんはコンプライアンスを遵守していますか?

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読書オタクが語る日本図書シリーズ 第121回

~『臆病者のための裁判入門』(橘玲著)を読んで学んだこと~

 

グローバルルールとローカルルールの対立。

 

ウチは大企業だし、コンプライアンスを遵守するのは当然だ。

そんなのいちいち全部守っていたら、中小企業は全部潰れる。

上場企業はガバナンスを効くようにしなければならない。

人材不足のこのご時世、コンプライアンスを守ってホワイト企業にならないと人が集まらない。

 

などなど、その人の考え方や現在置かれている立場によっていろいろな反応があると思います。まず大事なのは、すべて正解でもあり、不正解でもある。という考え方を許容することです。

特に、最近はやたらと、コンプライアンス、コンプライアンスと南無阿弥陀仏のように唱えている人が増えていますが、そのように言っておきながら有言実行というか、貫徹できていないところが多いのも事実です。

それはなぜか?ぜひ下記引用箇所を読んでいただきたいです。

 


画像引用元:https://pixabay.com/ja/ハンマー-書籍-法律-裁判所-弁護士-段落-ルール-ジュラ-719066/

 

【この本のポイント!】

 

コンプライアンス化する社会

 

(中略)「法化社会」というのは、明示された普遍的なルール(法律)によって、社会の利害関係を調整していく近代的な制度のことだ。それに対して前近代的社会では、揉め事は共同体の私的なルールによって解決されていく。これはべつに日本に特殊な制度ではなく、マフィア(やくざ)の顔役が裏社会を仕切るのは世界のどこでも同じだ。
かつての日本では、政治家や行政(官僚)、ヤクザやフィクサーがインフォーマルな方法で民事の紛争を解決するのが当然とされていた。(中略)
談合にかぎらず前近代的な紛争解決手段は、共同体の構成員にとってはものすごく効率的だ。
ところがこうした内輪の世界(談合社会)は、共同体から排除されたひとたち(よそ者)にはまったくアクセスできない。事実、日本では、外資系の建設業者はどれほど安価で良質の工事をしても公共事業への参入が認められることはなかった。
1980年代後半のバブル景気で日本経済が世界を席巻すると、“ジャパンバッシング”が始まった。日本は先進国首脳会議(G7)のなかで唯一アジアの参加国だったが、リビジョニスト(日本を「再定義」するひとたち)は、「日本は欧米とは異なる論理で行動する不公正な国だ」と強く批判した。(「西欧近代の倫理に従え」というこうした考え方は、今日では「市場原理主義」とか「グローバル資本主義」と呼ばれている)。
リビジョニストたちが批判した「日本的な特殊性」は、じつはアジアの国々でごくふつうに見られるものだ(さらにいえば、欧米諸国でも実態としては同じようなことが行われている)。いまでは“バッシング”は日本を素通りして中国に向かっているが、これは日本がまがりなりにも「グローバル化(法治)に舵を切ったのに対し、中国がいまだに「ローカルルール(人治)」に固執しているからだろう。
グローバル化が進むにつれて、外国企業や外国人(移民)を公然と排除するローカルルールは維持できなくなってきた。それがどれほど非効率でも、(外国人を含む)すべてのひとに公正な「法化社会」に変えていくしかない。それを思い知ったことで、日本では1980年代からさまざまな司法制度改革がはじまり、バブル崩壊後の90年代に急速に「コンプライアンス(法令遵守)化」が進むことになる。(後略)

『臆病者のための裁判入門』P145~P147

 


画像引用元:https://pixabay.com/ja/法律の本-ライブラリ-書籍の行-書籍の棚-法的-書籍-法-本-291676/

 

中国では、戦国七雄が最後の激闘を繰り広げた時代に韓非子らによって法知の概念が生まれました。そして、日本は昔は国の根幹となる制度は中国から学び、近代になると欧米から学んできました。ですので、ここで言うところの主張が、「法化社会」が西洋独自のものであり、日本と中国を含めたアジアは法治国家ではないことであれば違和感を覚えます。

ただ、私の理解では、約束(Promise)や契約(contract)といった概念は、恐ら絶対的存在たる神との約束や契約であり、そういう意味では、西洋的というか、キリスト教的というか、いずれにせよ非東洋的な考え方だと思います。

ですので、中国や日本をはじめとするアジアの国々も、基本的には法治国家であると思いますが、国によっては、たとえば、ビジネスにおいて普通のやり方が通用しない、つまり、西洋的な、約束や契約という考え方が通じず、簡単に約束を破られたり、自分たちの知らないところでどんでん返しが起きる。といったことが発生します。

しかしながら、それらに事象に対して、ただ単に国際ルールに乗っ取ってない、非文明的だと憤慨することに意味はあるのでしょうか?
第一に、オレたちはこういうルールでやっているんだから、オマエたちもそのルールに従え、と、上から目線で言っているように感じます。

最近のホットなニュースでは、日本でとあるグローバル企業の外国人トップが逮捕され、長時間の拘束が続いていることが非難されています。また、中国のある大手企業の幹部がカナダで拘束され(この件と関連があるかどうかは中国側もカナダ側も否定していますが)、同時期に中国でカナダ人が拘束さ、これまた非難されています。

これらの事象に対して、ただ単にけしからんと言っても始まりません。その国にはその国のルールがあり、国によって歴史的背景も異なり(たとえば、中国で麻薬が他国と比べてもより重罪なのは、間違いなくアヘン戦争の苦い記憶があるからでしょう。)、現在その国が置かれた立場というのもあります。

また、これらの背景に加え、相手がそうせざるを得なくなったのはなぜか?自分たちが追い詰めた結果、相手がそのような手段に出る必要があったのではないか?というように、冷静に全体を見つめたうえで、それでも、この対応はこれこれこういう理由で自分は納得できない。と、意見するべきだと思います。

最近の世の中のいろいろな動きを見ていると、単なる批判は浅はかだと思えてなりません。

 

一介の読書オタクより

 


画像引用元:https://www.amazon.co.jp/臆病者のための裁判入門-文春新書-橘-玲/dp/4166608835/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1545639403&sr=8-1&keywords=%E8%87%86%E7%97%85%E8%80%85%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%85%A5%E9%96%80

参考図書:『臆病者のための裁判入門』
発行年月:2012年10月
著者:橘玲(たちばな・あきら)
発行所:文藝春秋

※本記事の写真はすべてイメージです。本記事は参考図書の一部を引用したうえで、個人的な感想を述べているに過ぎません。参考図書の実際の内容は、読者ご自身によりご確認ください。

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